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2008年(32歳)
子育ては、それなりに大変で3時間おきの授乳、私は母乳は一切あげず完全ミルクで育てました。
夜中は力も入らず抱っこすることも出来ないため、赤ちゃんの頭の下に枕を入れミルクを飲ませたり
ゲップもさせれないまま寝かせてしまうことも多々あったり、ロンパースのボタンが止められず足が丸だしだったり
そんな子育てでしたが、両親・親戚の助けも借りながら、息子は夜泣きも一切せず、ミルクの時以外は寝てるという
私のために産まれてきてくれたような親孝行な子でした。
息子を産んでからはプレドニン・ネオーラル・マイテラーゼで調節しながら、プレドニンを減らそうとすると
悪化したりと、ITPは3万前後をウロウロしている状態でした。C肝は慢性肝炎のままウルソでごまかしていました。
2009年(33歳)
息子は1歳まで風邪も引くことなく順調に育ってくれ、10カ月ほどで歩き出しました。
プレドニンの副作用のムーンフェイスが もう当たり前の顔のようになっていましたが、少し減らすと調子が悪くなるを
繰り返し、プレドニン20mg・ネオーラル15mg・マイテラーゼ1錠で過ごしていました。
2010年(34歳)
プレドニンや免疫抑制剤の治療もあって抗体は2桁の95になりました。
2011年(35歳)
息子も2歳3歳と、とっても可愛く元気に育ってくれ、1度だけ息子のインフルエンザが移って1週間の入院をしましたが
その他に入院することもなく過ごせていました。
2012年(36歳)
その間、公園デビューをしたり、ママ友ができたり、いろんな所へ出かける事が出来るようになってきました。
薬の量は減らせないままでしたが毎日、こんな生活が出来ているのが奇跡です。
2013年(37歳)
息子も無事に元気に幼稚園に入園し、毎日の送り迎え・週4日のお弁当作りにと1日1日を過ごしていました。
この年、病気になって以来18年ぶりに週2回、都合の良い時間にだけ行って1人でマンションの掃除をするという仕事を
し始めました。
2014年(38歳)
この頃から少しずつ血小板が下がり始め1万台というところまできました。
息子は本当に元気な子で幼稚園生活2年間で2日程お休みしただけで無事に卒園。     
~C型肝炎治療・ITP投薬開始~2015年(39歳)
小学校に入学。入学を期にもう少し働いてみようと、1日5時間・週3日で受付事務として仕事を始めました。
しかしやはり、ちゃんとした仕事をすると体や気を使うのか少ししんどい日が多くなったり、血小板が どんどん下がっていき
7000まで下がりました。
そして、この半年前位にC型肝炎の画期的な新薬ダクルインザ・スンベプラが認可され
もう肝炎になって20年近くなっていたため、そろそろ肝ガンの危険も出ていた為、試してみようということになり
ただ、ネオーラルを飲んでいるとダメだったのと、血小板が少な過ぎるため、すぐには投与できないと
ネオーラルを一旦中止しプレドニンを40mgまで増やし、同時に血小板も上げるのが狙いでしたが
血小板は上がらずレボレードを飲み始める事になりました。レボレードを飲み始めると血小板は上がり始めました。
プレドニン40mgを飲み続けるのは厳しいのでC肝新薬でも使えるだろうと言われたプログラフへ切り替えながら
ダクルインザ・スンベプラを飲み始める事となりました。飲み始めて3週間目、体中に蕁麻疹が出始め日に日に酷くなり
頭から足の先まで蕁麻疹、下痢もひどく微熱もで、MGも悪化し、少し危険な状態になったため即入院・即中止。
この新薬でこんな副作用が出たのは初めてだったようで医師も製薬会社の人も驚いていました。
薬疹の治療とMGの治療を兼ねて免疫グロブリン(IVIG)を投与し5日後位にやっと薬疹が消えていきました。と同時に
MGも落ち着き始め2週間後に退院。IVIGが効いたのか抗体が70に下がりました。
薬疹のため本来なら24週飲まないといけない薬だったのですが4週間しか飲めてなく効果は期待できないだろうと
言われていたのですが、なんと抗体が消えていました。この一件で仕事は辞めました。
2016年(40歳)
現在も5年の再発はあるかもしれないがとは言われていますが、定期検診のみで今のところ再発しておりません。
現在MGは抗体75。プレドニン13mgで0を目指して減量中・プログラフ3mg・マイテラーゼ1錠。
2017年(41歳)
ITPはレボレードで血小板10万。橋本病は甲状腺機能は正常で治療なし。で息子と1日1日を過ごしています。
長い文章なのに最後まで読んで頂きありがとうございました。こんな私で良ければ病気の悩みの相談など
お役に立てればと思ておます。他にも【私のお仕事】もありますのよければそちらも ご覧下さい。

私の病歴

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